私たち一人ひとりの
考え方もさまざま。
大切なのは、自分自身にとっての
Well-beingを持続して考えること。

身体的 Well-being

肩の力を抜いて
Well-beingと向き合う

取締役 CTO 大平 雅子

身体的Well-beingは英語では、“Physical Well-being”と表現されるもので、厚生労働省の資料では「肉体的」と表現されていますが、イヴケアでは、あえて「身体的」と表現しました。肉体は単に体そのものを表しますが、身体は人間のみに使用され、体だけではなく心も含めた心身のことを表すからです。

それでは、身体的Well-beingを実現するためには何をしたら良いのでしょうか。1日に8時間寝る?栄養バランスのとれた食事をする?お酒を止める?どれも良い方法だと思いますが、皆さんにはできますか?私には無理です。勿論、健康な生活という意味では大事なことだと思いますが、これにより何かを我慢したり、むしろ辛くなってしまってはWell-beingではありませんし、私は、朝起きて、今日ちょっと頑張れそう!いや、今日1日乗り越えられそうと感じる程度の体調であれば、身体的Well-beingは十分実現できていると思っています。ハードルが低すぎますか?でも、毎日生きていれば、色んなことがあるわけで、楽しいことばかりではないですよね。その中で、今日1日乗り切れるだけで十分かなと思っています。そのために、ほんの少しだけ、前日早めに寝たり、お酒を飲むのを控えたりすることもありますが、人間なので、毎日上手くいくわけではありませんし、今日は駄目です!頑張れない!という日もあります。そんな時は、日単位、週単位、さらには月単位で帳尻を合わせられれば合格と考えています。そんなアバウトな感じでWell-beingと向き合うのはいかがでしょうか?

心理的 Well-being

その人の内に安定してある
持続的な幸福感が「Well-being」

取締役 CKO 芦谷 道子

国連関連団体が、2012年から発表している「世界幸福度ランキング(World Happiness Report)」では、2023年の日本人の幸福感は137か国中47位で、「一人当たりの国内総生産(GDP)」と「健康寿命」が特に高く評価され、「社会的自由」「寛容さ(他者への寛大さ)」「人生評価/主観満足度」が顕著に低いという特徴がありました。つまり私たちは、経済的状況や身体的健康には恵まれていますが、主観的な心理的幸福度は低いと言えそうです。いくら経済的に恵まれて健康であっても、その人が自分の人生に生きがいや充足感、満足感を感じていなければ、やはり幸福であるとは言えないでしょう。

ところで、幸福とは一体、なんでしょうか。皆さんは、何が満たされたときに、自分が幸せだと感じますか?哲学や心理学は、長い時間をかけてこの究極の問いにずっと向き合ってきました。幸福学的倫理学を追求したアリストテレスは、あらゆる技術や行為、選択は全て何らかの善を目指しており、最終的善(最高善)は幸福であるとしています。つまり、私たちが日々営む行動は、直接的、間接的に、この「幸福」という最終地点を目指して行われるものであると言えるでしょう。そして、その時その時の状況に応じて揺らぐ一時的な幸福感ではなく、その人の内にある安定してある持続的な幸福感を「Well-being」と言います。

社会的 Well-being

個人の社会のWell-beingは
時として相反

代表取締役社長 CEO 五十棲 計

社会的なWell-beingは、身体的なWell-beingや心理的なWell-beingと比べると少しイメージが難しい部分があるかもしれません。私は、社会的なWell-beingに2つの意味があると整理しています。1つは、「個人」における「社会との繋がり」の充足度を表す言葉として、もう1つは、個人を内包する「社会」そのものが「善い社会」であることを表す言葉としての意味です。

これを読んでいる、皆さんは、社会的Well-beingと聞くと、1つ目と2つ目、どちらの意味を先に思い浮かべるでしょうか。人間関係で困られている方は1つ目を、会社や組織を運営されている方は2つ目の意味を先にイメージされるかもしれませんね。 私は、これを眺めていると次のような謎かけが頭の中に浮かんできます。「私」は、私らしく生きる(Well-being)に生きるために、社会との繋がりを求めるが、「社会」で繋がりを築くためには、「善い社会」のために私らしさが制限されることもある。 ちょっと難しく書いていますが、皆さんも一度は、こんな経験したことはあるのではないでしょうか?「副業したいのに、会社の規定で出来ない」、「ゲームが趣味だけど、友達の付き合いで別の趣味に合わせる必要がある」、「子育てはもちろん大事だけど、自分の時間も取りたい」。つまり、「個人のWell-being」と「社会のWell-being」は時として相反するということです。