私たち一人ひとりの
考え方もさまざま。
大切なのは、自分自身にとっての
Well-beingを持続して考えること。

身体的 Well-being

肩の力を抜いて
Well-beingと向き合う

取締役 CTO 大平 雅子

身体的Well-beingは英語では、“Physical Well-being”と表現されるもので、厚生労働省の資料では「肉体的」と表現されていますが、イヴケアでは、あえて「身体的」と表現しました。肉体は単に体そのものを表しますが、身体は人間のみに使用され、体だけではなく心も含めた心身のことを表すからです。

それでは、身体的Well-beingを実現するためには何をしたら良いのでしょうか。1日に8時間寝る?栄養バランスのとれた食事をする?お酒を止める?どれも良い方法だと思いますが、皆さんにはできますか?私には無理です。勿論、健康な生活という意味では大事なことだと思いますが、これにより何かを我慢したり、むしろ辛くなってしまってはWell-beingではありませんし、私は、朝起きて、今日ちょっと頑張れそう!いや、今日1日乗り越えられそうと感じる程度の体調であれば、身体的Well-beingは十分実現できていると思っています。ハードルが低すぎますか?でも、毎日生きていれば、色んなことがあるわけで、楽しいことばかりではないですよね。その中で、今日1日乗り切れるだけで十分かなと思っています。そのために、ほんの少しだけ、前日早めに寝たり、お酒を飲むのを控えたりすることもありますが、人間なので、毎日上手くいくわけではありませんし、今日は駄目です!頑張れない!という日もあります。そんな時は、日単位、週単位、さらには月単位で帳尻を合わせられれば合格と考えています。そんなアバウトな感じでWell-beingと向き合うのはいかがでしょうか?

もう一つ、身体的Well-beingの実現のために大事にしているのが「装う」ことです。私はヘアメイクやファッションが小学生の頃から大好きで、何冊ものファッション雑誌や美容雑誌を毎月買い漁り、切り抜きを集めていました。流行り物も大好きでした。今は、さすがに自分が好きなもの、自分の気持ちを高めてくれるものは確立しています。そのため、今日は調子が悪い日、頑張れない日、やる気が出ない日は、自分を少しでも高めるために、とびっきりの「装い」をするようにしています。装うことは、私にとってWell-beingの実現のために、とても大事な要素です。

イヴケアでも、エビデンスをもとに「気楽に」「楽しみながら」身体的Well-beingを実現するお手伝いをしていきたいと願っています。

心理的 Well-being

その人の内に安定してある
持続的な幸福感が「Well-being」

取締役 CKO 芦谷 道子

国連関連団体が、2012年から発表している「世界幸福度ランキング(World Happiness Report)」では、2023年の日本人の幸福感は137か国中47位で、「一人当たりの国内総生産(GDP)」と「健康寿命」が特に高く評価され、「社会的自由」「寛容さ(他者への寛大さ)」「人生評価/主観満足度」が顕著に低いという特徴がありました。つまり私たちは、経済的状況や身体的健康には恵まれていますが、主観的な心理的幸福度は低いと言えそうです。いくら経済的に恵まれて健康であっても、その人が自分の人生に生きがいや充足感、満足感を感じていなければ、やはり幸福であるとは言えないでしょう。

ところで、幸福とは一体、なんでしょうか。皆さんは、何が満たされたときに、自分が幸せだと感じますか?哲学や心理学は、長い時間をかけてこの究極の問いにずっと向き合ってきました。幸福学的倫理学を追求したアリストテレスは、あらゆる技術や行為、選択は全て何らかの善を目指しており、最終的善(最高善)は幸福であるとしています。つまり、私たちが日々営む行動は、直接的、間接的に、この「幸福」という最終地点を目指して行われるものであると言えるでしょう。そして、その時その時の状況に応じて揺らぐ一時的な幸福感ではなく、その人の内にある安定してある持続的な幸福感を「Well-being」と言います。

さて、それでは、他の誰とも違うかけがえのない存在である「私」のWell-beingは、どうすれば高められるのでしょうか?Well-beingが究極の到着地点であるとしても、そこに至る道は人それぞれです。そこには、その人のこれまで生きてきた道のり、何を大切に意図して生きるかというその人の人生、生き様が関わってきます。つまり、自分自身のWell-beingを見つめることは、自分自身の人生を見つめること、探求してゆくことに繋がります。

私たちは、この人生最終の目標であるWell-beingに向き合うことを通して、皆さまの人生をより豊かに彩るお手伝いをしたいと考えています。その道のりは先述したように個別性の高いものですが、ちょっとした知恵や工夫、視点の転換で、皆さんの心のあり方、人生への向き合い方が変化する可能性があることも分かってきています。臨床心理学の知見や、心理士として様々な方々に向き合ってきた経験をもとに、皆さんのこれからをサポートしていきます。

社会的 Well-being

個人の社会のWell-beingは
時として相反

代表取締役社長 CEO 五十棲 計

社会的なWell-beingは、身体的なWell-beingや心理的なWell-beingと比べると少しイメージが難しい部分があるかもしれません。私は、社会的なWell-beingに2つの意味があると整理しています。1つは、「個人」における「社会との繋がり」の充足度を表す言葉として、もう1つは、個人を内包する「社会」そのものが「善い社会」であることを表す言葉としての意味です。

これを読んでいる、皆さんは、社会的Well-beingと聞くと、1つ目と2つ目、どちらの意味を先に思い浮かべるでしょうか。人間関係で困られている方は1つ目を、会社や組織を運営されている方は2つ目の意味を先にイメージされるかもしれませんね。 私は、これを眺めていると次のような謎かけが頭の中に浮かんできます。「私」は、私らしく生きる(Well-being)に生きるために、社会との繋がりを求めるが、「社会」で繋がりを築くためには、「善い社会」のために私らしさが制限されることもある。 ちょっと難しく書いていますが、皆さんも一度は、こんな経験したことはあるのではないでしょうか?「副業したいのに、会社の規定で出来ない」、「ゲームが趣味だけど、友達の付き合いで別の趣味に合わせる必要がある」、「子育てはもちろん大事だけど、自分の時間も取りたい」。つまり、「個人のWell-being」と「社会のWell-being」は時として相反するということです。

こんなジレンマに直面したき、それを解決してくれるものが「優しさ」と「想い」なのだと私は個人的に考えています。私らしさが制限されることを否定するのではなく、優しい眼差しをもって受け入れられること。社会が、個人を蔑ろにするのではなく、そこで生きる人々の想いを反映した運営がなされること。この2つが合わさったとき、「個人」も「社会」もWell-beingな、本当の意味での社会的Well-beingが達成されると信じています。

「私らしさが制限されることを受け入れる」といわれると少し違和感を覚えるかもしれません。しかし、ここでの本意は、決して強制による思想や言動の制限ではなく、むしろ制限されることを謳歌すること、制限を制限でなくす私の「心の在り方」が重要であると思います。なぜ副業できない会社で働き続けるのか、なぜ趣味が合わない友人と付き合い続けているのか、なぜ子育ての時間を自分の趣味の時間に割かないのか、これらは倫理観や社会通念上の常識だけでは達成されない部分もあるのではないでしょうか。

今いる会社のビジョンをもっと世の中に拡げたい、自分の趣味ではないこともこの友達一緒だから楽しめる、子どもの成長が垣間見られる瞬間が何よりの喜びである、きっと制限される「私らしさ」よりも、もっと大きな「私のWell-being」に繋がっているからなのかもしれません。その繋がりこそが、優しい眼差しが心の中で生まれる原動力なのだと思います。反対に、その繋がりを感じられないときは、「私」にとって優しい社会ではないのかもしれません。そんなときは、無理をせずに違う社会に溶け込むのも一つの方法です。

決して簡単なことではありませんが、私と社会の葛藤にグラデーションをつける「柱」となれるように、イヴケアを成長させていたいです。